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コラム
2017年1月14日

電子化はマンガの何を変えたのか? ―「ヤングマガジン」島田英二郎さんに聞く(前編)

モーニング編集長を長く務め、その間、アプリ「Dモーニング」もスタートさせ、15年に元週刊誌編集長としては異例の“現場復帰”をしたのが、今回お話しを聞く島田英二郎さんです。島田さんは雑誌でなければ、生み出せないマンガの面白さがあると言います。それは作家や編集者にとってはどんな意味を持つのでしょうか?【マンナビ編集部企画記事】

 

  【話者プロフィール】 ヤングマガジン編集部 島田英二郎さん
プロフィール- 90年講談社入社。92年よりモーニング編集部。『天才柳沢教授の生活』『国民クイズ』『鉄腕ガール』『蒼天航路』『不思議な少年』『ブラックジャックによろしく」など担当。06年「モーニング・ツー」を創刊。10年よりモーニング編集長。15年9月にモーニング編集長を退任し、ヤングマガジンにて一編集者として現場に復帰。1月16日発売の「ヤングマガジン」にて高橋ツトム氏の読み切り「9NeuN(ノイン)」が掲載される。
Twitter: @asashima1

マンナビ | 雑誌 | ヤングマガジン紹介ページ:https://mannavi.net/magazine/395/ 
マンナビ | 島田英二郎さん | 紹介ページ:https://mannavi.net/author/kdsymagazine2/   

 

編集者は作家に育てられる

――ヤングマガジンで現場に戻るまで、約6年間、モーニングの編集長を務めてこられた島田さんにお話しを伺います。どうぞよろしくお願いいたします。

島田:90年に講談社に入社して、92年からモーニング編集部に配属になり、編集長になって2015年9月までいました。ずっとモーニングにいたようなもんです。2006年にモーニング・ツーを創刊し、創刊編集長を務めたりもしてますね。

いろんな作家さんを担当させてもらいましたが、私自身作家さんから影響を受けてきました。その中でも「天才柳沢教授の生活」の山下和美さんと、「蒼天航路」の王欣太さんには大きな影響を頂きました。若い編集者って作家に育てられるところが大きいんですよ。本宮ひろ志さんも「勝算」という競馬をテーマにした作品でご一緒しましたね。半年弱くらいしか担当してませんが、すごく勉強になりました。

 

――編集者が作家に育てられるというのは例えばどういったことなんでしょう?

島田:ストーリーの発想の仕方であったり、どれくらいそこに執念を賭けるものなのかといったことですね。まだ駆け出しのころは、ネームやアイディアに対して、簡単にOKを出して怒られることもよくありましたね。「シマダさん、あんた本当にこれでいいのか!?」と。「いいのかって、あんたが出したネームだろ?」って思いましたけどね(笑) 

「面白い」ってのは結局100%主観で、他人の「面白い」とは比べることはできないんですね。目盛りがあるわけじゃないんだから。プロが描くネームなんだから、面白いは面白いに決まってるんですよ。「面白い」と言おうと思えば「面白い」と言えるに決まってる。

でも、どんなものでもそうですが、なかなか100%の面白さには到達できない。週刊だろうが月刊だろうが、「連載」という形式は、そこにどれだけ近づけるかという一種のチキンレースみたいなものなんです。締め切りという時間の枠の中で(雑誌に)載っけないといけないんだけど、どこで「面白い」とするか、という勝負ですから。物事はそう簡単に「面白い」と思っちゃいけないんだ、という執念。まず最初に学んだのはそこですね。

これだってもちろん、読者に見せて恥ずかしいわけじゃないけど、でもまだまだ俺たちの中じゃ「面白い」に達してないんだ、というネームが出てきたら、やっぱり20ページ全部作り直す。締め切りから逆算したらあとどうやってもあと2時間以内には内容を固めないといけない。この1話で今週延々と…そうだな、ざっと15時間はかけて打ち合わせしてきたものを、なんとか2時間で新しいものを産み出そうという(笑)

そういうことを延々やっていく訳です。モノづくりってどこまで粘るかということなんだ、ということはそこで皆学ぶんだと思いますね。出来たときは楽しいけど、途中は毎週毎週ギリギリまでホント苦しむわけです。

 

電子化はマンガの何を変えたのか?

――島田さんは2013年に、モーニングの電子版「Dモーニング」をスタートされました。週刊誌のデジタル化は当時まったく例がなく、思い切ったことをされたと感じました。振り返ってみて、どういう思いで取り組まれていたのでしょうか?

島田:もうそれは「本誌を売らないといけない」、それに尽きます。雑誌そのものの売上が下がっていくなか、単行本の売上げで儲かってれば良い、という考え方との戦いでしたね。

雑誌の売り上げが下がっても、単行本でそれを上回る売上げが出れば編集部としては利益が上がってくるわけです。何しろ30万部しか刷ってない雑誌から出た単行本が、40万部、50万部、場合によっては100万部売れるわけですから、そういう現象が起きてくる。冷静に考えたら、それって本当はどっか不自然でしょ? たとえ10年前よりも去年、去年より今年のほうが「儲かっている」としても、本誌の部数が落ちてきているなら、それはどこかで崩壊するだろうと私は考えていました。特に当時はまだまだ電子コミックも、ネットでマンガを読ませるするやり方もほとんどなかったんで、なおさらそうでしたよね。今は条件は大分違うけど、一番根底にある状況は実は変わってないと思いますよ。

昔は100万とか刷っていた雑誌が、30万部まで落ちてもまだなんとか単行本は売れる。でも、極論雑誌の部数が1万部とかになったときに、紙、電子問わず単行本はそれでも売れているだろうか? 電子コミックやネットが隆盛を極めているとはいえどうなるんでしょうかね。そこのシミュレーションを誰もきちんとやってないんじゃないかな。

そのころ(Dモーニング開始前)は電子媒体という具体的な動きが(業界内に)ありませんでした。いまはマンガ連載を電子形式で見せていくということが定着していますが、当時はそんな形は影も形もなかったわけです。毎週マンガを読む読者――本来週刊誌というのは一番間口が広い媒体で、普通のサラリーマンとかが時間つぶしのために見るものなんです――そういう層がいてはじめてそこからいわゆる「マンガ好き」といわれる人が出てくる。だから広く薄く読まれるということに対しては、私はすごい執着がありました。マンガに限らず、あらゆるジャンルで言えることでうが、本当に長いスパンでそれを持続させるには、「広く薄く」という意識は非常に大事なはず。「マニア」は大事だけど、彼らに甘えてはいけないんでしょうね。

当時、急速にネットやスマホの普及が進んで、「広く薄く」漫画を読んでた層、つまり暇つぶしで読んでた層を、取られていっていました。そこにどのように戦いを挑むかという話だったと思うんです。でも、すでにその10年以上前から、マンガ雑誌の売り上げは落ちている、もうそれは仕方がないんだという雰囲気どこかにはあって、「単行本が売れて儲かれば良いんだ」という雰囲気は確実にあったと思う。モーニングを含め、一部の雑誌に関しては、部数が急激に落ち始めたあの時期に、「単行本が売れて利益が出てるんだからいいじゃん」じゃなくて、本気の死ぬ気で雑誌の部数を維持しようとしていたら、少なくとも大人向けのコミックに関しては今とは状況は相当に違っていたでしょう。そしてそのときに編集部の一員、それも中核の部員としていたのが私自身なのですから、非常に大きな責任を感じています。

 

――雑誌が先細ると、マンガがダメになるというのはもう少し詳しく言えばどういうことなのでしょう?

島田:ヘビーユーザー、ライトユーザーって私は呼んでいるですけど、マンガって、まず雑誌がいろんな種類があって、それぞれに役割があるはずなんですよ。マガジンにはマガジンの役割があるだろうし、アフタヌーンならアフタヌーンにふさわしい役割がある。マンガの中で、「マンガ週刊誌」というのは特殊な役割を担っていて、少年向け・大人向け問わず、週刊誌というのはとにかく毎週でます。つまり一番スパンが短い。そして、部数も多いのです。月刊○○よりも週刊○○のほうが部数は圧倒的にでるわけです。

 頻度が高くてしかもたくさん出るということは、一番頻繁に、多くの人に触れるものだということです。マンガというものを世の中に広げてくれる、文字通り「最前線」なんです。逆に言えば、もっとも多くの人に触れてもらわなければいけないものなんです。もっとも多くの人に触れるということは、「広く薄い読者」、つまりライトユーザーを獲得するツールだということです。本来週刊誌はそのためにあるはず。一つの生態系のなかでそれぞれの生物に役割があるように、マンガ市場という生態系の中で、マンガ週刊誌が果たす役割はそれのはずなんです。

サラリーマンでも学生でもいいから、時間つぶしのために――いまスマホが担っている役割と同じですが――読む。時間つぶしの選択肢が幾つもあったときに、チューインガムなんかと同じようなものなんですよ。ガム買いますか? マンガ読みますか? という具合に。時間つぶしで特に関心もなく、網棚に置いてあるのを拾って読んだのに、面白い、と感じてもらう。その面白さが、ミドルユーザーを生み、やがてヘビーユーザーを産み出すわけです。そのためのライトユーザーは薄く、広く千万人単位でいるべきだと私は思っています。おカネなんて払ってくれなくても構わない。その中から、だんだんと単行本まで手を出す人が出てきて、ヘビーユーザーが生まれてくれればいい。その再生産のサイクルが回っていることが重要で、それがいわば巨大な生態系なんです。そしてこれは映画でも小説でも同じなんです。大きい生態系というのは循環していくもので、サステナブル(継続可能)でなければならない。その発想を持ったときに、週刊誌の本誌部数というのは色々な意味でとても重要な鍵なんです。読者を再生産する意味でもそうだし、作り手の再生産という意味でも重要なんです。そこから新人作家も出てくるわけですから。ネットやスマホの時代になっても、実はこの基本構造は変わらない。週刊誌は紙でなくてもよいし、大きくカタチは変わっていてもいい。でも、そのニッチ(生態的地位)を果たすものはいなければならない。私にとってはDモーニングはその実験でした。

週刊誌の中で、週刊連載でものを読ませるというというのはものすごくハードルが高い。つまり、単行本は10話まとめて読んで面白ければそれで良いわけです。でも、雑誌で連載しているものって、どうやって部数を伸ばしていくのかといえば、暇つぶしでコンビニでもいいし、それこそ網棚に置いてあるものを読んでもいいわけですが、たまたまあるマンガの第36話を読むとする。その第36話を読んだときにそれまでの流れを全く知らないのに、面白いって思わせないといけない。これって実はものすごい荒技なんです。大道芸人にとかに近いといえるかもしれない。

いまのマンガは大道芸というよりは、アートに近いと私は思っています。非常に洗練されて、予約してチケットを買って、アリーナで見るような芸が多いんじゃないでしょうか。それはもちろん芸として素晴らしいに決まっていますが、一方で大道芸でその辺の雑踏に立って、通りすがりの人を振り向かせて100円、200円、1000円というおひねりを払わせるようなものも大事だと思う。その大道芸を極めた人の中からアーティストも生まれてくるでしょうし。

そしてそうした状況が、電子という視点が入ることで条件が変わってきた。大道芸の部分もかなりネット空間に移っていったのです。もう電車でみなが紙の雑誌を読むのは実際問題、非現実的になってしまった。じゃあスマホの中に入ればいいだけじゃないかと。技術的には可能なのになのになぜどこの雑誌もやらないのか? それは大道芸の勝負から降りてるだろ、と。絶対スマホには入らなきゃダメなんですよ、と思って当時始めたのがDモーニングだったってわけだけど、もう時代の流れが速いからね(笑)。すでに昔話の感ですよね。今のDモーニングには今のDモーニングの思想・理念があるはずです。

やはり私はネット上であろうとなかろうと、ライトユーザーを獲得することは必要だと思う。ただ、ネットとリアルで決定的に違うのは、やっぱりネット文化のなかで衆目にさらされることと、リアルの中で紙として回し読みされるのは全然違うという点だよね。

 

 つづき 1/15公開予定

※ 文:まつもとあつし、編:マンナビ編集部




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