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コラム
2017年1月15日

電子化はマンガの何を変えたのか? ―「ヤングマガジン」島田英二郎さんに聞く(後編)

モーニング編集長を長く務め、その間、アプリ「Dモーニング」もスタートさせ、15年に元週刊誌編集長としては異例の“現場復帰”をしたのが、今回お話しを聞く島田英二郎さんです。島田さんは雑誌でなければ、生み出せないマンガの面白さがあると言います。それは作家や編集者にとってはどんな意味を持つのでしょうか?【マンナビ編集部企画記事】

 

  【話者プロフィール】 ヤングマガジン編集部 島田英二郎さん
プロフィール- 90年講談社入社。92年よりモーニング編集部。『天才柳沢教授の生活』『国民クイズ』『鉄腕ガール』『蒼天航路』『不思議な少年』『ブラックジャックによろしく」など担当。06年「モーニング・ツー」を創刊。10年よりモーニング編集長。15年9月にモーニング編集長を退任し、ヤングマガジンにて一編集者として現場に復帰。1月16日発売の「ヤングマガジン」にて高橋ツトム氏の読み切り「9NeuN(ノイン)」が掲載される。
Twitter: @asashima1

マンナビ | 雑誌 | ヤングマガジン紹介ページ:https://mannavi.net/magazine/395/ 
マンナビ | 島田英二郎さん | 紹介ページ:https://mannavi.net/author/kdsymagazine2/   

(前編)は、こちら。

電子の時代だからこそ編集者が重要

――トキワ荘プロジェクトでも、ギャグマンガ志望の人はそれで苦労しています。紙媒体ではなかなか連載を獲得できない。一方で、ネットだと注目を浴びるので作品はそっちで発表して、Twitterのフォロワーをたくさん抱える人もいます。しかし、それだけではなかなか食っていくのは大変なんですよね。

島田: ネットとはとにかくものを周知させるのには非常に優秀なツールなわけだから、誰かがマネタイズする方法を考えてあげないといけない。編集者の仕事がそれになってきてますよね。良いか悪いかはともかくとして、すごい勢いでそうなってきている。でも、そこには落とし穴もあると思います。

 

――マンナビが生まれた背景にもその変化はあります。つまり、編集者個人のメッセージを出すとか、新人賞の情報を網羅するとかをやっているのは、マンガの電子化そのものではなかなか喰えない、ということが10年間やってきて、私たちが到達した気づきです。そして、もう1つは「進撃の巨人」のような大型ヒット作品がネットからは生まれないんじゃないだろうか、ということです。一発ギャグや、半径1mの日常的な作品であれば、編集者なしで作ってもそれなりに支持されるけど、大型作品は長く連載されるその過程で「作家の成長」が必要なんです。そして、それを生み出すのはやはり編集者だ、ということが一巡してわかったからなんです。

島田:それは私がTwitterで「作品とコンテンツの違い」という一連の投稿をしたのと関連してるのかも。そこでも言ったんだけど「才能とは液体のようなものだ」と思うんですよ。

 

※:以下、島田さんのツイートを引用。

 

水でも酒でも良いんだけど、才能というのは液体みたいなものなんです。ただ、液体だから「器」に入れないと飲めないんですよ。新人作家の多くは、それをテーブルの上にぶちまけてしまっている。つまり、飲むことができれば美味しいんだろうけれど、器に入っていないから、飲めない。器に入っていない、というのは「誰かに向けて描いていない」ということなんですね。

編集者は作品のレベルを上げたり、作家の才能を育てる仕事のように理解されることがあるけど、私はそれはちょっと違うのでは、と思ってます。テーブルの上にぶちまけた液体をいくら美味しくしたところで、たとえばネット空間で消費されはしても、「プロの作品」には非常になりづらい、ということはハッキリ言いたい。

つまり、編集者がやるべきことは、液体を美味しくすることではなくて、器に入れることなのではないでしょうか。それはお椀でもいいし、綺麗なワイングラスでも良いから、何かに注げってことなんです。注いでおけば、だんだん熟成されて、酒が美味しくなっていくわけであって。まず大事なのは器に注ぐことのように思うんです。ネットでも器の発想をしっかり持てればいいけれど、とてつもなく危険なところはそれが全くなくてもそれなりに消費はされていくことです。

 

雑誌は器であり、1つの擬似人格でもある。

――紙の雑誌であれば定期的に締め切りがあって、そこに何ページという制限がありますが、器とはそういう意味ですか?

島田:そういう狭い意味だけではなくて、やっぱり「雑誌」でなければダメなんです。雑誌というのは、どうしたって、まともな雑誌なら器にならざるを得ないんです。それは作ればわかるんだけど、一種の疑似人格なんだよね。

 

――編集長の意思が入っている?

島田:編集長ということに限らないんだけど、例えば「モーニング」だったら言ってみれば「モーニングさん」という実在の人物のような存在感を持たないと成立しえないんですよ。「ジャンプ」は「ジャンプさん」でしょう。サンデーさんだろうがゴラクさんだろうが、それぞれ刻々と体の細胞は入れ替わって、30年ぶりに会ってすっかり面立ちが変わっていてもやはり「サンデーさん」「ゴラクさん」なんですよ。雑誌ってそういうもんなんです。作っている人たち自身も言語化なんかとても出来ないところで、たとえ自分たちが変わろうと思ってもなかなか変えられない強固な1つの疑似人格なんですよ。だから器たるものになっていって、だからとっても価値があるし、だから読者を再生産するし、だから、何よりも作家と編集者を育てるんですよ。そこに参加するということは、自然に器に入ろうとすることになるから。

でもネットって、なかなかそうならないですよね。ネットというのは逆に、comicoなんかがわかりやすいと思うけれど、器ではなくなろうとするのがネットの良さなんですよ。誰に対しても「開く」というのがネットの価値だから、「器」とは本質的に相性が悪いのかもしれない。

ネット空間でも器のような演出はできるんだろうけども。だから出版社の編集者がこの分野を狙うんだったら、それをどれくらい上手くやるか、じゃないでしょうか。

そして雑誌がどんどん減ってきてる今、残された週刊誌=器はとても貴重です。これから、新しい週刊誌を創刊するなんてとても難しいのですから。

 

――Webサイト、Webマガジンでは「器」たり得ないんでしょうか? プラットフォームはたくさん生まれたわけですが。

島田:どうなんでしょうね。ネット媒体の強さってやはり、オープンであることなような気がします。誰でも参加できて、見る人の数で選別して、編集が介在しない方向を指向する。プロの編集者が入れば傾向は変わるんでしょうけど、ネットの一番の強みはまた違うところにあるような気もします。それこそテーブルのうえに美味しい飲み物がたくさんぶちまけられているような。現にそこに人が集まっているなら、どんどん消費されていくことにだってそれなりの価値はあるんだし。でも、そこがマンガのメインストリームにはやはりならないとは思います。

 

――逆にいえば、雑誌という器に収まろうとして、作家も編集者も切磋琢磨するわけですね。

島田:そうです。才能を器に入れようとする、そして入ると、美味しく飲める。プロの作品か否かってつまり器に入っているか否かなのでは、と思うわけです。端的に言えば、器って読者ターゲットが明確であるということなんですよ。

 

――ネット媒体では過去のエピソードも読めるようになっているから、先ほど仰られた大道芸的な才能が磨かれない、という面もあるかもしれませんね。ところで、先ほど編集者がマネタイズを考えることには落とし穴もある、と仰いましたが、それはどういうことなんでしょうか?

島田:マネタイズのことばかり考えてると、最初から「器」に入ってる才能をさがすことになりかねないからですよ。最初から自分が入るべき器を見つけているような天才はいつの時代も一定数存在します。そして、ネットの素晴らしいところは、そういう才能が世に埋もれなくなったことです。見つけられちゃうんです。いついかなる条件でも、才能を開花させる人は開花させるものだと思います。一方、この場があったから、この人と出会ったからという条件があって初めて開花する才能もある。どうも最近「条件次第できわどく開花する才能」が花開く場が、世の中のいろんなとこから失われているような気がします。

ネットはすでに開花しているのにまだ埋もれている才能を世に出すことには非常に長けています。その一方で、0.1%の確率でしか開花しない才能を花開かせることはネットにはかなりむつかしいはずです。そりゃ、編集者も商売ですから儲からかきゃしょうがないんだけど、すでに開花している才能をマネタイズすることにばかり長けていってもどうなんだろう? と思うんです。

 

編集者は作家に器を示す

――マンナビは、編集者の情報からの持ち込みを進めているわけですが、それは島田さんの仰る器を指向すべきというお考えと一致しますか?

島田:それは大丈夫だと思います。例えば「自分は○○編集部の何某なので、一緒に○○の器にふさわしい作品を作っていきましょう。持ち込みを歓迎します」であったら全然良いわけですよ。昔であれば、作家側も「この器に入ってみたい」と言ってきてくれたんだけど、今はその器の側が弱くなってしまっているので、手当たり次第に新人賞に申し込む、あるいは編集者にコンタクトをとってみるということでも良いと思います。たとえ、それが自分にあわない器に思えたとしても、テーブルにぶちまけている限りはなかなか飲めないわけですから、まずは器に入ってみたらいいんじゃないでしょうか。それを続けているうちに、器=雑誌の側も新しい形を見いだすかもしれないのだから。

偉そうなことを言ってきましたが、私が今、現場に戻ってきてつくづく思っているのは編集者って本当にささやかな存在だな、ってことなんです。器がどうのって、言い換えればたったそれくらいしか出来ることがないってことなんですから。でもささやかだからこそ何かの意味がある存在にはなりたい。個人的には編集者ってのはそれで十分幸せな商売だなあと思っています。

1月16日発売のヤンマガで、高橋ツトムさんの新作が載っています。高橋さんは『鉄腕ガール』以来15年振りで担当させていただきます。んで、4月からはまた他の作家さんになりますが、週刊連載でも現場復帰します。最後に宣伝でした(笑)

(c)髙橋ツトム/講談社

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※ 文:まつもとあつし、編:マンナビ編集部




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