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コラム
2023年1月31日

マンダンラジオ出張掲載版#15「漫画家を目指す!」家族の反応




■マンダンラジオ 漫画家2人が漫画について語るラジオ


漫画家として活躍されている安藤正基先生が中心となって、漫画に関するアレコレをテーマに様々なゲストを招いて、ゆるく楽しく語り合うラジオ企画!毎月下旬頃にYouTubeにて配信中!
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※2021年6月26日にYouTubeにて配信された内容を許諾を得て一部記事化内容を再構成しております。是非、本編アーカイブもご覧ください!





―子どもの夢を応援してくれた

安藤正基:
「漫画家を目指す!」「漫画家になりたい!」そういう目標を持たれた方がぶち当たる壁として、家族に対して打ち明けるイベントがあるのかなと思うんです。

ちると:
漫画家になりたいと言い出すタイミングは難しいかもね。安藤さんはどうでした?

安藤正基:
僕は小学生の時から自由帳とかに4コマ漫画を描いていたので、親からは漫画描くの好きなんだというのは認識していたと思う。漫画家を目指そうと漫画投稿とかも高校1年生ぐらいから挑戦していました。はっきりと漫画家になりたいと家族に伝えたのは大学入る頃だったかな。
ただ、通っていた高校が進学校で周りが勉強して当然の空気感だったり、担任の先生からも漫画家になるのは勿体ないぞと言われたりしました。でも、両親が漫画家になるのを応援してくれているスタンスだったのは感謝だったね。母親が漫画家を目指していたけど親に止められて、父親もデザイン系行きたかったけど親に止められてという過去があったから、子どもに対してはやりたいことやらせる空気感だった。
ちるとさんはどうだった?そもそもどういう子どもだった?

ちると:
絵は描いていたし、ノートにネーム描いたりしていましたね。両親に伝えたのは高校3年生ぐらいの時かな。ちょうど受験シーズンで正直合格できると思わなくて、半ば逃避行動としてジャンプ編集部にネームを投稿しつつ、家族に漫画家になりたいって伝えました。ただ、両親からは「大学に入学してから描きなさい。入ったら大学の4年間好きにしていいから」と言われたから、とりあえず受験頑張ってなんとか合格して大学生時代は漫画を描いていました。大学4年生の時に漫画を描いてお金がもらえる仕事ができた実績もあって、そのあたりから両親からも漫画描くのを認めてくれた空気感は感じました。

安藤正基:
漫画でちゃんと生活できそうというね。

ちると:
そうそう。他にも漫画が載ったりもしたから、親に対して安心材料を与えられたと思う。ただ、大学4年生になった時ぐらいに両親から「将来どうするの?」みたいなプレッシャーはあったけど(笑)

安藤正基:
僕も大学卒業してから1年ぐらいフリーターの時期があったけど、その時はまだ両親からは様子見てあげるみたいな空気感だったな。自分自身の気持ちとしては周りは会社員で働いていたりしていたから正直不安だったよね。その頃既にちるとさんと付き合いあったけど、自分の方が年齢1個上ということで心の余裕もなかったと思う。

ちると:
今だから言えるけど、安藤さんが就職していたら自分も就職するルートだったと思う。1年先輩として見ていた側面もあるから、人生そういうものだと思っちゃうかな。

安藤正基:
親しい存在だと絶対影響受けるよね。





―親に言われて嫌だったこと

ちると:
漫画家を目指す最中、両親に言われて嫌だったこととかある?

安藤正基:
母親は何も言わなかったけど、父親が半年に1回ぐらいのペースで「就活しないのか?」とか声をかけられたから、僕はそれかな。就活する気がなかったから、余計就活の話が一番しんどかった。

ちると:
それだよね。

安藤正基:
大学受験の模試受ける時も志望校書く欄があるとおもうけど、正直どこにも興味なかったよね。どこの大学に行っても虚無の人生送りそうと思っていた。

ちると:
どこか大学に通いながら漫画を描くという発想はなかったの?

安藤正基:
当時は描けないと思っていた。ただ、大学には行かないとと思っていたから、どうせなら漫画が描ける大学に行こうと思って名古屋造形大学に行きました。美術系の大学だから授業料とか高いにも関わらず両親らに出してもらって申し訳なかった。ちるとさんはどう?

ちると:
これは認識の齟齬があっただけの話だけど1個ある。当時担当編集が付いていてコンペに出す用のネームを数年間描き続けていたんだけど、完成原稿は描いていなかった。それを見ていた姉から「全然漫画描いていないよね」と言われた時は嫌だったよね。当時の姉の認識は漫画を描く=完成原稿を描くイメージだったから、確かに傍から見たら構想だけ考えているみたいに見えるから実情を伝えるのが大変だった。

安藤正基:
逆に、家族から気を使われていると思ったシーンとかある?
僕の実体験では投稿用原稿を描いている時、当時紙とペンだから乾かすためにベッドに原稿並べていたんだよね。そうしたら父親が部屋に入ってきて漫画原稿見ながら「北斗の拳みたいでええなぁ」って言われた。父親なりに息子に寄り添おうとした空気感があった(笑)

ちると:
お父さんにとっての漫画が北斗の拳というイメージなんだよね。安藤さんの絵柄とは大分違うけど(笑)
気を使われたことか......。たまにYahooニュースとかで漫画の話とか取り上げられた時、やたらと伝えにくることはあった。例えば少年ジャンプの特集とかで友情・努力・勝利みたいなキーワードが出ると俺にその記事見せて「これが大事らしいよ!」とアドバイスされた(笑)

安藤正基:
寄り添われすぎて逆に困ることがあるよね。有り難いし嬉しいけど(笑)ただ、改めて思い出すと我々は大分ハッピーなルートだね。





―連載が始まる時の反応

安藤正基:
連載始まりますとか漫画家目線だと良い報告する時あると思うけど、その時はどうだった?

ちると:
一番最初に稼いだ漫画は客観的に見ても危険な漫画だったから、少し言い出しにくかったよね......。

安藤正基:
ばぶみるく!』という伝説の漫画をcomicoで連載されていたんですよね。

ちると:
内容が女子高生が成人男性に対して私の赤ちゃんになってくださいという漫画でして......。一応お金は稼げたから母親に「俺、漫画でお金稼いだよ、恥ずかしい漫画だけどね」って伝えたら「凄いじゃない!」みたいなこと言ってくれてとても嬉しかったよね。『とっても優しいあまえちゃん!』の単行本を両親喜んで買ってくれたけど読んではいないらしい。開いてはならない内容というのを感じ取っているのかな。でも、それが一番良い付き合い方かなと思う。
安藤さんはどうだった?

安藤正基:
読切デビューした時は父親が各地のコンビニで雑誌を10冊ぐらい買って「息子の漫画が載ったんや!」と周りに配ってたらしくて。恥ずかしいけど父親の気持ちは嬉しかったよ。父親としても心の底から応援できるってなったのかわからないけど、息子が会社員として働いていないということに対して世間的な目とかもあっていろいろ辛かったのかなと思う。
連載の時は、気持ちが高ぶって父親に抱きついた(笑)巨大な息子に抱きつかれて父親も困った感じはあったけど「良かったなぁ」と抱きしめ返してくれた。素直に父親に伝えたいと思う。息子に好きなことをやらせてくれたのは本当に感謝しかない。

ちると:
俺も親にきちんと伝えるなら、漫画家目指させてくれてありがとうだね。



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■出演者


安藤正基 アイコン

MC漫画家:安藤正基
一迅社の月刊ComicREXにて「八十亀ちゃんかんさつにっき」(既刊11巻)という名古屋を舞台にした漫画を連載。2019年~2021年にわたりTVアニメ3期放映。過去にはメーカー公認文房具コメディ漫画「ぶんぐりころころ」(全2巻)をマンガボックスにて連載。

八十亀ちゃんかんさつにっき 書影八十亀ちゃんかんさつにっき 書影ぶんぐりころころ 書影

ちると アイコン

MC漫画家:ちると
KADOKAWAにて成人男性が女子小学生に甘える漫画「とっても優しいあまえちゃん!」(全4巻)やニコニコ静画にて「白魔導師シロップさん」(全2巻)、少年ジャンプ+にて「先輩!俺の声で癒されないでください!」(全2巻)を連載。7月16日より『マジメサキュバス柊さん』を連載、完結。

マジメサキュバス柊さん 書影白魔導師シロップさん 書影先輩!俺の声で癒されないでください! 書影